2023年の読書記録

あけましておめでとうございます。

2023年の読書記録

昨年は8月までポーランドにいて、あまり日本語の本を読んでいなかった。また帰ってきてもポーランド語の本を読んでいたので、あまり日本語で書かれた本は読まなかったという結果になった。

2023年の読書メーター
読んだ本の数:9
読んだページ数:2517
ナイス数:4

ひとりだから楽しい仕事: 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活ひとりだから楽しい仕事: 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活
読了日:12月27日 著者:クォン・ナミ
素読のすすめ (ちくま学芸文庫)素読のすすめ (ちくま学芸文庫)
読了日:11月21日 著者:安達 忠夫
ストーナーストーナー
読了日:10月26日 著者:ジョン・ウィリアムズ
コレラの時代の愛コレラの時代の愛
読了日:09月12日 著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス
ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)
読了日:08月16日 著者:奈倉 有里
狩りの時代狩りの時代
読了日:08月15日 著者:津島 佑子
斜陽斜陽
読了日:07月26日 著者:太宰治
千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話
読了日:02月24日 著者:済東鉄腸
コルシア書店の仲間たち (文春文庫)コルシア書店の仲間たち (文春文庫)
読了日:01月09日 著者:須賀 敦子

読書メーター

 

登録し忘れている本もある気がするが、とりあえず2023の本たち。

日本で読んでいた須賀敦子が、海外で読むとまた違った味わい。将来女が一人で海外で自立して、生きていくにはと考えているうちに、彼女の言葉が凛とした姿をもちはじめる。2024年も須賀敦子を少しずつ読んでいきたい。

 

あたたかくなってきました

ブログをはじめたものの、2記事しかあげておらず、インターネット上に筆不精ぶりを晒しておりますMalwinaです。

 

最近ポーランドでも、ようやく春の訪れを感じられるほどあたたかくなってきました。というのも日が伸びましたね。サマータイムが始まったのもありますが、5時30分には日が昇り、20時には日が沈む。時間の流れが穏やかになった気がします。

 

ポーランド人の学生の間にも、だいぶ知った顔が増えて、廊下なんかで待ち時間は、クラスメイトと話したり、誘われて突然海に出かけたり、カフェに行ったり、人間関係もだいぶ充実してきています。日本にいると、いつも自分をよく見せようと頑張ってしまうのですが、こちらに来て早々に諦めたところ(よく見せることすらできない)、1人でぼーっとしていたら、話かけてくれる人が周囲に増えていました。

 

留学生活の終わりは近づいてきているのですが、「もう終わりだ、悲しいな」と考えるのではなく、今後もポーランドポーランド語とどうやって関わっていこうかなと、最近は考えてみています。

 

今現在、熱烈にポーランドが好きかと言われれば、そうでもないかなと思うのですが、(好き、嫌いという感情はなくなった気がします)いわゆる英独仏の言語世界からは見えない世界の存在に気づけるようになったということが、ポーランド語を通して、学んだことなのではないかな、とふと思っています。

 

今学期毎週楽しみにしている授業は、ポーランド戦間期文学の授業です。文学の授業に多い、作家の背景、歴史、潮流を説明していく授業かと思っていたら、この授業の先生は、教科書を使わず、文学理論はもちろんのこと、さらに哲学や心理学も援用して、今ここの私たちがどう読んでいくのか、読みの可能性を探っていきます。

 

ある講義で、Bolesław Leśmianという詩人を扱いました。本当にざっくりと言ってしまうと、西洋の人文学、つまり人間と自然を切り離す方向とは反対に、人間も自然の一部であるという思想に基づいて、詠った詩人です。西洋と対に置かれるいわゆる「東洋的」な思想も感じる作品もあります。

 

授業後、授業後先生に声をかけました。

「日本の詩人の作品を思い出しました」

「そうですよね」

「私はいつもヨーロッパの「人文学」はどこか遠くて理解できるものではない気がします」

「そうでしょう。こちらの人たちはいちいち説明しなくても、自然と身につけてきています。......」

そして、恥ずかしながら、この後あまりに緊張していて聴き取れず、有耶無耶にして逃げてしまったのですが、

 

「'planeta'単位で考えている」と言っていたのは、かすかに聞き取れました。

 

このあとずっとこのplanetaという言葉について考えていました。あえてświat(世界)という語彙を使わず、planetaを使った先生の意図を考えていました。

 

そして、ふと気づいたのです。自分自身こそがオリエンタリズムを内在化してしまっているのではないかと。「私は極東から来た」と意識するあまり、差異ばかりに目が行ってしまっていたのではないかと。

 

planetaという言葉は決して「この21世紀に差異はもはや存在しない」、「(西洋白人男性の価値観に基づく)平等は達成された」、「全てを均してしまえ」という暴力的なことばではなく、同じ惑星に住まうものとして考えようではないかということだったのではないかと。

 

ずっと考えていました。ポーランド語を母語としない人間がポーランド文学に取り組む意味があるのかと。そして常に「日本だったらこうだな」と考える自分がいました。しかし、比較をするたび、無暗な二項対立に意味はあるのかと。

 

「文学は対話だ」と先生は言っていました。何度も。
(一方で皮肉にも「人間は分かり合えないのでは」とゴンブローヴィッチを引用していっていましたが)

 

ポーランド的なもの、日本的なもの、と縛られるのではなく、作品と対話しながら、もっと遠くへいけるのか試してみたいと思います。そして、自分自身に深く根付いた母語を離れるために、母語ではない言語を学ぶのではないかなと、今は思っています。(まだまだわたしのポーランド語はそんな悠長なことを言っている場合ではなく、あがいていこうと思います)

 

youtu.be

昨日学校で上映会があり、Fire of Love (ポ: wulkan miłości) を観ました。(4本で600円ぐらいというありがたい割引に引き寄せられて、毎週上映会に行っています)

 

人から離れて、生と死に近づくほど、人を想うのではないでしょうか。


私は高校時代、理系はべらぼうにだめだったのですが、地学の火山や地震の分野だけやたらと好きだったので、来世は火山学者か地震学者になりたいと、ふと思ったこともあります。こういう世界の人間がとても相手にできない存在を相手にするところが好きです。そしてそれは、人間がとても相手にできない「他者」を相手にする文学とも、通じるところがある気がします。

 

ではまた。

100日が経ちました

年末の休みの間1本記事をあげようと思っていたものの、なんだかんだいっつも一緒にいる友人と街をふらついたり、新年は呑んだくれていたり、あとは弾丸でワルシャワに住んでいる先輩に会いに行ったりしていたら、あっという間に年が明けていました。

 

というわけで、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

 

年が明けてから、須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」を少しずつ読んでいます。留学前にたまたま手に取った「ヴェネツィアの宿」を読んでから、ずっと彼女の文章が頭を離れず、こちらでは日本語の本を意図的に避けていたのですが、結局のところ電子書籍で読んでいます。

 

ところで、こちらで留学していると、「旅行に出た方がいい」と言われます。その気持ちはよくわかります。日本からの旅費に考えたら、遥かにポーランドとヨーロッパの都市間の旅費は、当たり前ですが格段に安いです。そして時間もかからない。ただ私は今のところ大きな旅行に行っていません。それどころか、1日ワルシャワに行っただけで、グダンスクが恋しくなっていました。ワルシャワの中心街は巨大で、無機質に見えて。

 

須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」を読んでいると、ふと思い至ります。彼女にとっての土地の記憶は、そこで時間を共にした愛する人々との記憶なのだろうなと。ミラノの街、そして旅行先も。誰と過ごしたのか。

 

この100日を振り返って、今の地点にいる私にとって、グダンスクはもはや顔のない街ではありません。

 

クラスメイトのガイドで巡った旧市街、演劇科のクラスメイトたちの会話を聞きながら乗った電車、クラスメイトが案内してくれた彼女の地元、そしてクリスマスパーティーの帰り道。

 

そして、こちらで出会った人の中で、最も頻繁に会い、一緒にふざけたことをしたり、たまには真面目なことを語り合っている友人をVとしますが、Vと何時間も座り込んで話したショッピングモールのフードコートの角の硬い机と椅子、時間潰しに入った書店、歩き回った道、公園、ジョージア料理の店。

 

ショッピングモールのフードコートの角や、学校までの短い通学路、運転の荒い電車。あちこちから知った顔が覗いています。

 

旅行に行っても、観光地を巡るだけでは、のっぺりとした街の印象が拭えないのです。観光客気分は、ふと1人になりたいと思うときはちょうどよくとも、私の土地の記憶は、人と結びついて、おなかのなかに少しずつ少しずつ重なっていくものなのです。

 

たった3か月の滞在で、須賀敦子をひいてくるには、おこがましいにもほどがあるのですが、ふと、グダンスクがわたしのからだで大きくなっていることに気づいたので。

 

ではまた。

 

youtu.be

書きながら、あたまのなかを流れた曲です。

2か月が過ぎて

現在ポーランドに留学中のMalwinaです。

 

こちらに来てから2か月が経過し、いよいよ本格的に壁にぶち当たっています。

 

この2か月は生活を整え、授業に出席し続けるだけで精一杯であり、一方でなんとかポーランドで生活していることに満足してしまい、甘んじている自分もいました。人生初めての一人暮らし、海外生活という、人生における初経験を何とか乗り越えられているという気分に浮かれている自分がいたようにも思います。

 

けれどもこれで日本に帰ってしまっていいのでしょうか。

 

今2か月が経って、こちらに来る前以上に、ここにいる人たちとかかわりたい、そしてもっと深く、広く、知りたいという思いが強まってきています。

 

今私はポーランド人学生と同じ授業に出席しています。同じ授業に出ているからには、「もっとテクストを深く理解したい」、「講義をより理解したい」、そして「クラスメイトたちの会話に入りたい」、「なんとか建設的な議論をしたい」という思いがますます強まってきています。

 

けれども、私のポーランド語力は読むにしても、聞くにしても、書くにしても、話すにしても、まだまだ足りません。発言の機会を与えられても、まるで子どもが話すような内容しか話せない自分にいら立ちが止まりません。さらに演劇史のクラスでは、クラスメイト達の雄弁な解釈と比べて、自分のポーランド語以上に、人間的な浅さを突き付けられているようで、落ち込む日々が続いています。ポーランドの演劇は長い歴史をもち、ポーランド文化において、もっとも魅力的な存在と言ってもいいかもしれません。けれども理解するための知識も、歴史的背景の理解も足りない、そして言語の壁、さらに聞いて理解するだけで精一杯で自分で考えるところまで頭が回っていません。

 

何もできない赤子になった気分で泣きだしたくなります。

20も超えて何もできないことに震え上がりたくなります。

 

それでもクラスメイト達は笑わずに聞いてくれて、「こういうことを言いたいの?」、「これについてはどう思う?」と無視せずに尋ねてくれて、とても恵まれた環境にいますが、それでも悔しい。なんとか日常の雑事はポーランド語でこなせますが、クラス内でのディスカッション、そしてクラスメイトたちの雑談についていくのは本当に難しい。悔しい。

 

この留学で単位が認められたり、正式な賞状か何かが与えられることはありません。けれども、ただただひたすらにもっと知りたいという欲と、どこかにそれを届けられればという少しの希望、今ただそれだけで動いている気がします。

 

ただまだ私はスタートラインにも立っていません。まだまだ補助輪付きの自転車で転げまわりながら、なんとかスタートラインを探している状態です。興味もとっちらかって、まだどこに向かうのか分からず、落ち込んたり、はたまたたまに浮かれたり、あっちこっちに転んだりしてばかりですが、少しずつ動いていっていると信じて12月を過ごしたいと思います。