下仁田・甘楽小旅行(3/7)
母親と久々にふたりきりで、日帰りの小旅行に出かけた。両親が結婚直後に過ごした街を訪れ、二人がかつて住んでいた場所や、私が生まれる前の生活について、ふと耳を傾ける時間になった...?
なるはずだった…?
高崎で上信電鉄との出会い
自宅から高崎駅へ。そこから下仁田に上信電鉄で向かう。ICカードは使えないため、切符を買って、駅員さんに切ってもらう。高崎ー下仁田間で、途中下車を一回でもするなら、フリー切符がお得。

JRのホームとは違う第三セクターのレトロな香りが漂っている。


車体について詳しいことは分からないが、とにかく上信電鉄の車両はかわいい。「かわいい」の一言につきる。色といい、表情といい。ホームの先端まで走って、ご機嫌うかがいしたくなる。

すれ違いざまの上り列車。

下仁田でのグルメ道
ところでそもそも下仁田に向かったのは、上信電鉄に乗るためではなかった...
「孤独のグルメ」に登場したコロムビアさんのすき焼きを堪能するためだった。


そこで待ち受けていたのは...

母も私もこの後は夢中だったので、せっかくのすき焼きの写真が一枚もない。口の中で脂がとろける。「すき焼きってのは本当にうまいんか?」「な~にがすき焼きだ、私はしゃぶしゃぶ派だね」とアンチ・スキヤキだったのだが、勢いよく思いっきりの掌返しを決めた。すき焼きは、美味しいです。完全降伏、否幸福。
その後は日本最古の洋式牧場といわれている神津牧場には行かず(スーパーペーパードライバーの私には山道など運転する資格はない)、駅前でソフトクリームを堪能。

富岡製糸場に行くなら...楽山園も
満腹の我らが親子、富岡製糸場最寄りの上州富岡ではなく、上州福島駅に降り立った。車内では、母の思い出話を聴き、車窓から母がかつて住んでいた建物も確認し、おもひでぽろぽろ、穏やかな時間を過ごしていたが...
上州福島の駅から悲劇は始まった。無料レンタサイクル、さらには藤井風が「まつり」を撮影した日本庭園があるとの駅員さんの言葉を聞き、いてもたってもいられず、駅舎を飛び出した。駅員さんの「坂がきついですよ...」の言葉をきかずに...
キツカッタ。キツイ。ずっと坂だ。本当に。そりゃそうなのだ。山の裾野から、山に向かって走っているのだから。どれだけキツカッたかって、国土地理院の地図から、断面図を引っ張ってくるぐらいだ。「自転車壊れてない?」と失礼極まりない悪態をついていたが、全くそんなことはなかった。とにもかくにも坂なのだ。

ただ、たどり着いた先の楽山園は素晴らしかった。元々は江戸時代に織田家(かの織田信長の子孫たちは甘楽に辿り着いていたのです)によって造園された庭園で、2000年以降に国の名勝として認められ、現在の形へと修復された。石垣*1や茅葺の屋根についても、京都から職人が呼ばれ、修復作業が行われた。
庭園について説明してくださった方は、「国のお金が入ると違うんですよ」と力説していた。その通りだと思う。本当にきれいに整備されている。
昔このあたりを一人で車で乗り回していた母親によれば、「本当に本当に何にもなかった。あんな史跡なんてあることも知らなかった」らしい。文化財保護への投資の意義を目の当たりにした。



桜の時期はきれいなんだろうなと思うが、澄んだ上州の風が吹き抜け、冬の光に照らされる庭園も悪くない。
夏に毛越寺にも行って思ったが、権力者にとっての庭園の意味や設計の意図について、もう少し知りたくなった。
帰りの下り坂はあまりにも楽勝だった。ほぼ漕がなかった。地元の中学生とすれ違ったが立ちこぎしていた。そういうことだったのだ、甘楽の坂は。うまいこと、「群馬の地形を味わった」と纏めておこうか。
まとめ
母と穏やかな旅行をと意気込んでいたら、記憶に残ったのは、ほとんどが気が付けば怒濤のママチャリ行。汗だく、息は切れ切れ。関東平野の民には非常に堪える旅だった。
ただ上州電鉄の沿線は、穏やかに時が流れている。母の口からもよい思い出が流れ出てきたのだから、気候は厳しくとも過ごしやすい場所なのではないかと想像する。
グルメを楽しみ、穏やかな街を鉄道でガタンゴトンと揺られたり、チャリで必死に漕いで、上州の風を感じたりするのも悪くない。
*1:城の石垣のように積まれている
1月・2月に触れたものたち
以前Noteか何かで「○○月に触れたもの」という投稿を見て、期間は特定しつつも、ジャンルを特定しないランダムさと、対する関心の領域横断性が窺えて、興味深いなと思ったので、2025年には、自分でも残してみることにするつもりだった。
とはいえ、1月末に食中毒に倒れ、療養期を終えたり、ぶり返したりしながら、人のやさしさに染み入り、ぼんやりしているうちに、バレンタインデーという名の2月の区切りの日も過ぎ去っていた。そちらの療養談でも面白おかしく書ければいいのだが、糞便の話は憚られるので、1・2月は合巻となった。
新年最初の学びは、「目標を立てても、計画を立てても、崩れるものは崩れる」。「無理はしても、無茶はしない」と、母が誰かの受け売りで言っていたが、私もここで受け売っておく。「無茶は禁物」。
読書
1月の頭には卒論を出し終えたのだが(食中毒前に諸々が終わっていたのが唯一の救い)、どうも書き言葉の日本語が出てこなくなっていた。翻訳の課題をやっていてわかったことだが、日常の読書が停滞すると、自分の書き物が走り出せない。日本の近現代について教科書の範疇を出ていない私は、日本の近現代文学を振り返ってみることにした。
東大が「国文志望の皆さんへー読書の手引きー」なるものを出していたので、そこにあるものを読み始めることにした。というのも今月の頭からその取り組みは始めたばかりで、まだ一冊目。
重苦しいのかと思っていたが、皮肉の利いた文体の小気味良さに思わぬ驚き。
お勢の入塾した塾頭をしている婦人は、新聞の受売からグット思い上りをした女丈夫、しかも気を使って一飯の恩は酬いぬがちでも、睚眦の怨は必ず報ずるという蚰蜒魂で、気に入らぬ者と見れば何かにつけて真綿に針のチクチク責をするが性分。(二葉亭四迷『浮雲』(新潮文庫版、p.20))
なかなかの毒舌ぶり。毒舌というか、ひどい。しかし「蚰蜒魂(げじげじだましい)」、使ってみたい言葉ランキング1位に躍り出た。
ストーリーではなく、面白い日本語を求めてする読書というのは、新たな楽しみになった。
外国語
こんな試みに至ったのも、外国語での読書のおかげだった。翻訳の助けを借りながらもMOMOのドイツ語での精読*1は続けているのだが、英語でも翻訳と原文を比べて読むという試みを始めた。
「多読をすれば英語力は上がる」という主張は間違いないのだが、児童書やラダーシリーズをどうしても読みたくない私は、原書にぶちあたり、辞書や文法書を見ても紐解けない部分は、翻訳と比べながら読むことにした。面倒くさいと思っていたが、やってみると意外に楽しい。
今読んでいるのは、www.faber.co.uk
邦訳はこちら。
北アイルランドが舞台。ティーンが主人公。主人公の語りでの、並列表現の連なりがドライヴを産んでいる。
ネイティブスピーカーには当たり前の言葉かもしれないが、自分が知らなかったり、気になったりした言葉や表現を拾い、少しずつ書き溜めていくのも楽しい。
ポーランド語では、昨年から読んでいたヘンリク・シェンキェヴィッチ(Henryk Sienkiewicz)のW pustyni i w puszczy (In Desert and Wildness)を読了した。二人の子どもによるアフリカ冒険譚であるのだが、370ページに渉る大部な小説である上に、私の持っている版は文字も小さく、

さらに19世紀的なアフリカの描写は、現代の読者としてはかなり抵抗感を催すものであり、最初はかなり難儀した。ハラハラドキドキの展開が始まってからは、突っ込みどころ満載のご都合主義だったが(「突然ジャングルで瀕死のスイス人の冒険家と出会い、彼の物資を全て譲り受ける」ってありえるか?)、そこそこ楽しく読めた。
まあ、シェンキェヴィッチはしばらくいいかな。
音楽
紅白歌合戦での藤井風をご覧になっただろうか?
私は藤井風が出ていることも知らず、年が明けてからYouTubeに上がっていた「満ちてゆく」(今は非公開)パフォーマンスを見てから、何度も何度も繰り返して聴いていた。
あるとき、アルバイトに行こうと、「満ちてゆく」を聴きながら、ホームへ向かうため、階段を上り終えた瞬間、私の眼に冬のきりっとした青空が飛び込んできて、私の耳に最後の大サビが飛び込んできた。
晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を離す 軽くなる 満ちてゆく
このサムネイルの青空は、私が目にした1月の青空と同じ色に見えた。同じ色だった。体から力が抜けていって、むっとした駅舎の空気の中をかろやかな風が通り抜けた。
見える景色、聞こえる音、包まれる空気、すべてが変わるマジカルな瞬間だった。
まとめ
藤井風に出会いなおせたことは、新たな喜びだった。今もいろはすのCMの新曲をずっと聴いている。彼がCMの最後でいう「明日もきっといい感じ」はお守りの言葉だ。
「3月もいい感じ」になりますように。
2024年を振り返る
これまでしっかりと年末に振り返りをしたことがなかったのですが、来年から大学院生になり、ステージが変わるので、記録をつけておこうと思った次第です。
今年は1年あっという間ではなく、特に下半期の6か月間はしっかり半年間味わった年でした。別れもありましたが、そのおかげで自分自身を取り戻したような気がします。上半期については、書けないこともあるので、主に下半期について、勉強・生活・趣味の3柱で振り返ってみます。まさに備忘録的な雰囲気になりそう。
勉強
院に進学を決め、さらに卒論を進めていた下半期。ポーランド語で読んで、日本語でアウトプットする時間が多い時期だった。私は追い込まれた時には、慌てふためき、何もできなくなるため、8月ぐらいからは、毎日少しでも資料集めなり執筆を進めていた。おかげで12月は落ち着いて過ごせた。火事場の馬鹿力がある人に憧れていたが、無いものねだりをするよりも、自分の特性にあった進め方をした方が、自分自身も幸せであることに、改めて気づいた。
年明け卒論発表が落ち着いてからは、ポーランド文学史とポーランド詩学の本を読み、そして実際に詩も読みながら、大学院に上がるまでに詩を読む準備をしておきたい。今までは散文ばかりを読んでいたが、ポーランド語は詩の言葉だと思う。
一方趣味の勉強の語学の方は、捗ったとは言い難い。年々英語は錆付いてきている。ポーランド語の伸びもそれほどではない。文献を読んでいたので、特定分野への慣れはあるだろうが。ドイツ語とウクライナ語は卒論の片がついた11月の末から力を入れて勉強している。
ドイツ語はエンデのMOMOの原文をひたすら辞書を引きながら読み、文法的に解釈できなければ翻訳と比べて、あちこち本をひっくり返して勉強している。昨今叫ばれているタイパに対して、あまりにも非効率的な勉強に思えたため、今まで私も避けていたのだが、1人で淡々と勉強したい自分には合っているのかもしれない。なんだかんだ1月半は続いている。

ウクライナ語は黙々と持ち合わせの本で勉強しているが、それが終わったら『星の王子さま・Маленький принц』を読もうかと考えている。
2025年に向けて
- ポーランド語で先行研究をより幅広く探す。
- ポーランド語の詩を読む。
- 2025年は、ポーランド語と英語については、精読と多読を使い分け、語彙に向き合う時間を取りたい。読みたくない本は読みたくないので、多読のみの勉強法が合わない自分には、精読と多読をの両方をしながら、語彙を増やしていけたら、一番理想的。
- ポーランド語については、スピーキングも課題であるため暗唱を続ける。
- ドイツ語とウクライナ語については、差し当たり今の勉強を続けていく。
- あとはどの言語についても共通して、聴く時間を増やす。聴くことと読むことは2つの車輪で進んでいかなければならない。
- 本当はさらにフランス語と韓国語の基礎を抑えたいが、それは様子を見ながら...。
生活
生活面では、体調の問題に見舞われたこともあり、自分の生活をより緩やかにする必要が見出された一年だった。いい意味で無理をしないような生活を心がけるようになった。周りの人が「いい」というものではなく、自分のリズムにあった生活が大切だ。さらに11月にチョコザップに行き始めた。運動習慣を築きつつある。頭のことばかり考えて、頭でっかちな私だが、身体には逆らえない。
さらに自分の行動については、どうも私は最近両親に指摘されたが、過集中気味&視覚優位の傾向があるらしい。何かをしている際中にパッと言われたことがすぐに分からなくなったり、忘れたりしてしまう。メモを取り、目につくところに置いておくようにしているが、対策が足りないこともある。アルバイトでも、責任が伴う仕事やタスクを任されることもあり、何らかの対策を見つけたい。
2025年に向けて
- 無理をしないで、身体に負担をかけない生活を心がける。
- 自分の特性に合った情報整理の仕方を探していく。
趣味
映画は10本も見たか正直分からない。今はそれほど熱がない、というのも正直なところだ。一方で読書の時間は増え、今年は一人でライブ+旅行に行く機会もあった。旅行のおかげで鉄道に関心をもつようにもなった。
11月にはK-BOOKフェスティバルでたくさんの本を購入し、少しずつ味わっている。ハン・ガンのノーベル文学賞受賞もあり、さらに韓国文学業界が盛り上がってくれれば、読者の一人としてはうれしい。またフェスティバルでは、出版社の方に直接感想を伝えることができ、とても充実していた。

さらに今年は翻訳の授業を受けたり、哲学、特に言語哲学の授業を受けていたこともあり、自身の日本語について考える機会が増えた。特に左川ちかの詩集に出会ったことは今年最高の出会いの一つであり、左川ちかが生み出すイメージに潜っていくのは、何ともいえぬ不気味な快感だった。もったいなくて、まだ全部読んでいない。
ここまで読んだ中では、『昆虫』が特によかった。背筋を電流が通ったような気分だ。
さらに今年は何といっても、Bialystocksとの一年だった。1月のライブに2人編成ライブから、ホールツアー(名古屋・東京)、そして11月のライブハウスツアー(仙台)。箱と編成に合わせて変幻自在の甫木元さんと菊池さんに、1年を通して楽しませてもらった。
今年の新譜から一曲。『空も飛べない』浮遊感がたまらず、朝バイトの出勤時に聴いている。
今年の1年を彩ってくれたのは、なんといっても芸人さんたちである。昨年のM1で令和ロマン、ヤーレンズ、真空ジェシカ、マユリカ、そしてそののちにThe Secondでガクテンソク、さらに別の場面で男性ブランコ、そしてダイタクとも出会い、今年のM1では敗者復活の家族チャーハンや、バッテリィズやエバースとも邂逅した。ポッドキャストにもはまった年であり、特に
「うなげろりん」(阪本さんおめでとう!!)
と
は毎週聴いている。(ヤーレンズはラジオが多すぎて追いきれない)有吉の壁も必ず見ていた。そして12月にはラクーンで劇場デビューも果たした。(ガクテンソクと男性ブランコを生で見てしまった!!)
なんだか辛いこともあった1年なのだが、電車の中で吹き出してしまうような笑いを提供してくれた芸人さんたちには本当に感謝している。おかげでなんやかんやあっても1年笑って過ごすことができた。
一方で今年ペトロールズのドラムの河村俊秀さんが亡くなった。来年こそコンサートに行こうと思っていた。いつか好きなミュージシャンもいなくなってしまう。行けるときには、行かなければならない。会いたい人には会いたいときに会わねば。
2025年に向けて
- スクリーンタイムを減らして、本を読む。
- 日本語作家の本を読む
- 韓国文学を読む
- モダニズムの詩集を探る
- Bialystocksのコンサートに行く(4月のチケット確保済み)
- 一人旅の行動範囲を広げる
- もっと劇場でネタを見る
- 行きたい場所には行く!会いたい人には会う!
まとめ
振り返ってみると何だか思ったよりも盛りだくさんの一年だった。とにかく来年は新たなステージが始まる。周りの人間関係も変わるだろう。2025年は、毎日少しずつこつこつと動き、好きなものやことや人と時間を過ごしつつ、物事においても、人間関係においても、意地っ張りな内向きになりすぎず、内と外の往還運動をしていきたい。
Bialystocks Live (11/1 in 仙台)・酒田(11/2-3)旅行
また東北に行ってきた。今回は仙台と酒田へ。
11月1日
Zepp DivercityでのBialystocksのライブチケットが取れず、前回のホールツアーは名古屋に行ったので、仙台公演のチケットを取ってしまった。2024年4回目のBialystocks。
行きの新幹線の中で、チケットを確認してみたら、整理番号はなんと80番台。Rensaのキャパシティなら前から3列目ぐらいで見られることが判明した。僥倖。
まだBialystocksはツアー中であるため、詳細は書き控えるが、2人編成ライブ、ホールライブ2回を経ての、今回のライブハウスライブ(なんだかまどろっこしいな)は、もちろんジャズやフォークの感じもありながら、ロックン・ロールというか、菊池さんと甫木元さんはそっちにも展開できるのかということに驚いた。両サイド西田さんと朝田さんのギターソロを浴びて、興奮しすぎて、体が浮いた気がした。
(珍しく甫木元さん・菊池さん揃ってのラジオ出演。二人の空気が愉快なので、Podcastおすすめ。)
ライブ後は、Rensaの恐怖の階段待ち(どうかエレベーターを使わせてくれ)で知り合った方と、二人でご飯に行った。普段東京のライブでは、すたすた帰ってしまうので、Bialystocksのおかげで出会いに恵まれた。大人になった気がしたが、ご飯を奢っていただいた。まだまだ子どもだった。
11月2日
翌日は酒田へ。前回在来線で東北を移動してから、在来線移動が好きになってしまい、いろいろ調べて楽しんでいる。今回のポイントは2つだ。
- 乗りつぶしオンラインというサイトでアカウントを作って、乗車した路線を記録。
- 今回はJRが出している週末パスを使って、2日と3日の帰宅まで乗車券費用を節約。(無人駅で降りるときに精算をしなくていいのも楽。)
ホテルを出て、仙台駅に向かい、昨日知り合った方のおすすめのずんだシェイクを朝ごはん代わりに味わった。

そして、5時間近くの電車旅へ。まず仙山線で羽前千歳駅へ向かう。仙台市街を抜けて、奥羽山脈を越えていくのだが、面白山高原駅あたりの景色が、通常の電車というより、高原列車のようだった。車窓から滝も楽しめた。

羽前千歳駅で山形線に乗り換え、一息で新庄まで北上。山形新幹線と並走。ほぼ直線で線形がよく、さらにロングレールでジョイント音が少ない気がした。正しいかは確信がないが。というのも、最近ナオヤ鉄道Chさんの動画をよく見ているためか、電車の音に意識して耳を傾けるようになった。
さて新庄駅から余目駅までの陸羽西線は、国道の工事に伴いバスが運行しているため、そちらに乗車。

葉が色づいてきた最上川と並走しながら日本海へ向かいつつ、庄内平野を抜けていく。平泉、松島に引き続き、こちらでも芭蕉が「五月雨や集めて早し最上川」と詠んでいたようで、五月雨ではなくとも確かに早そうな流れだった。7月の豪雨の際にも、かなり雨が降ったのではないか。最上川を挟んで反対側の山側では、地すべりらしきものを見かけた。
さて余目駅からは最後の羽越本線に乗り、雨天の酒田へ。関東人にはとにかく寒かった。幼い頃住んでいた日本海沿いの街を思い出し、来たこともないのに、懐かしい。


朝出て、ようやく15時過ぎに昼飯。ずんだシェイクしか飲んでいなかったので、12時間以上ぶりに固形物。

今回日本海側を旅したのは、夕焼けを見るためだった。雨がしとしとと降り続いていたが、願いを込めて、日和山公園へ。

いい感じの空ではあるが、願い叶わず無念。夕陽は見えず。
ホテルへ行き、ぐったりした。
11月3日
朝から天気は最高。酒田港も昨日とは打って変わって、物寂しさはない。

マグロ丼を食べるために9時過ぎに向かったが、すでに大行列で1時間30分以上待つ。

観光をと意気込んでいたものの、12時過ぎの特急いなほに乗る目標があり、時間がなくなり、駆け足で市内を巡る。


本日のメインイベントは、特急いなほから見る日本海である。羽越本線100周年のメモリアルイヤーに、青天の日本海。文句なし。
自由席だったが、無事に海側の席を確保し、愛しの日本海を見つめる。太平洋は荒々しさが足りない。寒くなってきて白波立つ日本海が好きだ。


特急いなほ号ファンクラブに即刻入会した。なんて素敵な路線だろうか...。今度は特急いなほで、あつみ温泉もいい、それとも秋田まで行こうかしら、それとも羽越本線で岩船から粟島あたりへ行こうかと夢想する。

新潟からは新幹線であっという間に帰宅。いなほ号からとき号へ。元新潟県民には、新潟感満載でたまらない乗り継ぎだった。
振り返り
Bialystocksのライブからいなほ号まで、もりだくさんだった。Bialystocksのおかげで、名古屋も仙台も、今年人生で初めて訪れた。Bialystocksが出会いをもたらしてくれている。
移動時間を楽しむ術が身につきつつあるのがうれしい。乗ったことがない電車から車窓を見つめ続けたり、通勤している人たちの姿を見て、普段の生活を想像したりする。
それにしても、やっぱり東北は居心地がいい。初めて行く土地でも。次は日本海側の島に行こうか。それとも、秋田の男鹿なんかもいいかもしれない。
またどこに行こうか。
Instagramができない
ブログという古風なスタイルの情報媒体を選んで、恥を書き散らしている私であるが、一応SNSというものも、それなりにやっている。かつてはTwitterもそれなりに呟いていた*1し、Twitterから乗り換えたInstagramでも使途によって、アカウントを使い分けている。
ただ、わたしはInstagramができない。
ここでわたしが触れたいのは、「インスタって何ぞや???」*2とか「SNS社会に対するアンチテーゼ」とか、そういうことではない。
ただコミュニケーション手段として、また自己表現の手段として、私はおそらく今後もInstagramを使いこなすことができないだろうという確信が日々強まっているということだ。
8月から9月にかけて、個人的なかなり小規模な実験を行った。
実験
8月から9月にかけて、出会いやら別れがあり、もう少し近況を報告しようと思うきっかけがあったり、旅行に行ったのでそもそも投稿するネタがあったり、ということで、コロナ禍以降何となく放置していたアカウントを動かしてみることにした。特にブログとして投稿もした旅行中はなんとなく、たくさん投稿してみることにした。
結果
無理である。これは続かない。写真を撮るのが嫌い、というよりも忘れてしまうという特性もあるが、何よりもInstagramはことばを綴る場ではないという、おそらくSNSで稼いでいる人には当たり前のことを、改めて認識させられた。
考察
わたしは「ことばを綴りたい」そういう人間である。
結論としては、テーゼを少し言い換えよう。
私はInstagramを「効果的」に使用できない。
写真を撮るよりも書きたい人間だ。ストーリーは文字だらけになるし、投稿の下にはうにょんと弛緩した蛇腹のような文章を晒してしまう。どんなにだらしない文章でも、格好つけた文章でも、書きたらしてしまう。
ここ数年ふと考えていたが、このちっぽけな実験からも、わたしの表現手段は、書くことだと思い知らされる。描くことも苦手だし、撮ることも苦手だし、人前で話すことも苦手だ。
ただ毎日のように数百字の作文を書く小学校に通っていたため、息をするように何かを書いていた。6年間の字が汚い読めない作文は未だに手元にある。その後も、ここまでの入試と呼ばれるシーンでは、全て何かを書くタイプの試験で乗り切ってしまった。書くという行為は私の人生に勝手に入り込み、随分長い付き合いだ。
写真は圧倒的に多くの情報を一度に伝達可能だ。対して、書くという行為は、このブログを書くにも、消したり書いたりもし、多少は使い慣れない言葉やつながりを使ってみようとしたりと、いろいろ試している。時間がかかる。
さらにことばは写真のイメージをそのまま伝えることは不可能だ。どう受け取られるかは可能な限り制御しようとするが、完全なコントロールなど存在しない。それでも、書く行為における不完全なことばを選ぶ、一生終わらない、勝手にピースの形が変わる、あなたとわたしのジグソーパズルを続けていく時間に愛着がある。その時間は恐れを背負っていても、のぞみを託す祈りの時間だ。
Instagramのきれいな写真を眺めるのも、かわいい動物たちを見るのも好きだけれど、やはりわたしはInstagramを使いこなせないし、文字だらけのストーリーをあげてしまう。わたしは、時間がかかっても、廃れていっても、書いていたい。
『虎に翼』最終回を迎えて
昨日『虎に翼』の最終回を迎えた。
正直に言えば何話か見逃してしまったのだが、それでも後追いで視聴し、昨日最終回を迎えられて、この作品と半年間過ごせたことに感謝するとともに、来週の月曜日から寅子たちに会えなくて、寂しい気持ちだ。何度も人生で見ていきたい物語で、その段階毎に聞こえる声は異なってくるのだろうなと想像している。
おそらくこの作品を見た人の多くが「わたしの話」と思える部分や人物を見出すことが可能なドラマがあっただろう。一方で、自分自身が無意識に搾取を行っているのではないかと、自分自身に問うドラマでもあった。
考えを巡らせれば巡らせるほど、言葉はほどけていってしまうのだが、しかし今頭にあるものを残しておくために、ここに「わたしの話」を残しておく。
連帯のドラマ
『虎に翼』は、連帯の物語であった。女子部の姿は、その最たるものだ。女性キャラクター間の対立を安易に描くのではなく、対立しながらも、切り捨てていくのではなく、つながりながら生きていく。虎に翼は、寅子の物語でありながら、寅子だけの物語ではなかった。寅子が全てを背負い続けるのではなく、さまざまな関係性の中で、助け合い、声をかけあう女子部の友人たちの物語であった。
フェミニズム運動のイメージとして、わたし自身もどうしても「強い女性」という女性像が結びついてしまうのだが(もちろん運動を動かしてきた女性を否定するわけではない)、一方でそのようには生きられないと思っていた。
だが虎に翼は、連帯のイメージを軽やかに肯定していった。女性たちのつながりはもちろんのこと、そしてそのつながりは性を超越していくことも可能であり、その連帯の紐帯はひとつでなくてよい。つながり、居場所はひとつでなくていい。家族や友人関係や職場、そして名前をつけることができないかもしれない居場所で、つながって生き、戦っていく。生きていくことが戦いのような地獄の世の中で、『虎に翼』が示した連帯は、その淵でさわやかな風を吹かせてくれる。
フェミニズムはすべての人のもの
わたしが『虎に翼』を最後まで見られた理由のひとつは、男性キャラクターの造形だと思っている。もちろん女性の地位向上の物語である以上、男性が社会で与えられている力、または無意識の暴力性を批判に言及することは避けられないが、ただ安易なジェンダーの二項対立に陥ることは意図的に避けられていた。
わたしは「フェミニズムは、すべての人のものである」と信じている。女性だけのものではない。男性を排除することを企図しているわけではない。これまでのジェンダー像を転回し、女性が強くなり、男性が弱くなるということではない。できるだけ可能な限り多くの人が生きやすい社会を実現することこそが、フェミニズムの目的である。
マジョリティの暴力性
寅子は、自らの暴力性に気づき、誤ったときに、謝る。
謝れる人である。謝り、対話をする。
わたしはどれだけ人を傷つけてきたのだろうか。どれだけ搾取してきたのだろうか。数えきれないほどではないだろうか。謝れなかったわたしのすがたが脳裏をめぐる。
そして、今どれだけ自分の暴力性に自覚的であるのだろうか。日頃目をそらしてきたこのことに、『虎に翼』は立ち止まって考える時間をくれた。社会をよくするためにどうやって生きていけばいいのか、吉田恵里香さんがいう無意識の「呪い」*1をかける口封じをする前に気づくことができるようになるには、暴力の斧を振り下ろす前に止まるにはどうすればいいのか。
苦しくとも、完璧にはなれなくとも、日常の中に立ち止まる時空間をもたなければならない。
曖昧さに留まる力
伊藤さんと米津さんが対談を行った番組を見ていたときに、おそらく伊藤さんが発した「はっきりさせない」という言葉が印象に残っている。
はっきりさせないで、曖昧な状態にいることは、逃げではない。簡単に結論を出すことは、よっぽど簡単である。曖昧さに留まることは、ふと胸につかえを感じたりしても、すっきりせずに、考えることを放棄しないでいることだ。さらに、それは閉じこもる曖昧さではなく、開かれた曖昧さでなければならない。*2
『虎に翼』においても、白黒つけることは求められていない。時間をかけて、目の前のあなたと向き合い対話をしていくこと。あなたがした選択を大切にし、寄り添うこと。あなたにわたしをひらいて、はっきりしない状態にとどまることは、つよさである。
『虎に翼』がいうように、社会は地獄だ。そこで、さらに常に考え続けることは苦しい。自分自身の過ちや暴力性に立ち向かったり、曖昧さの中で答えの出ない問いに向き合ったりすることは苦しい。けれどもそこに向き合っていく道程には、つながりがあり、一緒に立ち上がってもいい。そして、その営みは「いつか」へとつらなっていくと、『虎に翼』は信じることを肯定してくれた。
*1:クローズアップ現代のインタビューで仰っていた。できるだけ正確に伝えるために言葉を選びながら話す姿が印象的だった。
*2:この記事で引用されていた米津さんの「閉じ切らないこと」にもつながるかもしれない (3ページ目)米津玄師が「嫌悪していた」言葉とは…貴重なテレビ出演で語った、新人時代に抱いた“葛藤”〈『虎に翼』主題歌を担当〉 | 『虎に翼』の「はて?」を解く | 文春オンライン
岩手・宮城旅行(9/9-9/12)その3
さて、平泉で観光を終えた私は、2日目の宿泊地である気仙沼へ移動。
大船渡線は本数は少ないものの、山の中をズンズン走っていく感じが楽しい。


宿泊したゲストハウスは気仙沼駅から歩いて30分程のところだったが、歩いている途中で何もないところで思い切り転び、膝を打撲。どれくらいかというと、膝の写真を上げられないぐらいの青さ、いや黒さに。あんなに寺社仏閣を回ったが、足りなかったか。日頃からの信心を怠ってはならない。
チェックイン後、くたびれて意識を失っていたが、18時頃に起き出して、湿布と夜ごはんを求めて、市街地へ。


気仙沼まで移動した目的は、もちろん魚介類。気仙沼はおさかな天国だ。サンマもおいしかったのだが、驚いたのは、メカジキ。「口の中でとろける甘さ」とはメカジキのたたきを指すことばだ。
夕食の後に戻り、ゲストハウスの方と歓談し、就寝。翌朝は、スタッフの方に気仙沼の魚市場を見て、食堂に連れて行ってもらうことに。
3日目(9/11)
翌朝は7時頃から港へ。


朝から天国に来てしまった。潮の香り、揚がった魚を狙う鳥、漁師さんたちの声。そして魚、魚、魚。
朝ごはんはこちらだ。

昇天。
旨すぎる。気仙沼で水揚げされたカツオ。本当に人生で食べたカツオの中で一番旨い。
昨日の夜から旨い魚で腹を満たし続けている。
極上の幸せ。
舌鼓を打ち、膨れた腹で腹鼓を鳴らしていると、出発の時間。
松島を目指して、3時間の電車旅。
南気仙沼駅から柳津駅まではJRのバス高速輸送システム(BRT)で移動。東日本大震災で被害を受けた鉄道の代わりに、バスにより仮復旧が行われていた。*1 バス専用道路が設けられており、鉄道と同じように正確な時間での運行を目指しているのだろう。その一方で、鉄道でのアクセスは不可能であった病院などを経由することで、地域の人々の足としての活躍する側面も窺える。
バスの車窓からまだ白い防波堤や護岸工事の数々が見えた。



柳津駅に到着。海岸線を走っていたバスも気が付けば内陸部へ。

そこから前谷地駅へ。

そして小牛田駅で乗り換え、松島へ。




福浦島の弁天様に、一応膝の件について祈ってみたところ*2、随分思ってもいない方向と縁が結ばれてしまったというか、私の片想いが始まってしまったのか。どうも私の周りの神様、仏様は、私でおもしろおかしく遊んでいる。
時間はなかったものの、一応瑞巌寺も訪れ、伊達政宗の直筆の書状に興奮。
さて、3日目の宿の仙台へ。

旨い。昨日から旨いもんしか食ってない。東北地方に舌を埋めたくなる幸福度。
しばし友人と街をふらつき、くたびれていたので、就寝。
4日目(9/12)

最終日は、仙台の大きさに驚く。仙台は都会である。
伊坂幸太郎さんを探して、街を徘徊しようと思うが、もう足が動かない。
お土産に牛タンと笹かまを買い込み、新幹線に乗り込み、帰宅。
*1:BRTの仕組み:JR東日本を参照
*2:膝もだいぶ良くなった。ありがとう弁天様。