100日が経ちました

年末の休みの間1本記事をあげようと思っていたものの、なんだかんだいっつも一緒にいる友人と街をふらついたり、新年は呑んだくれていたり、あとは弾丸でワルシャワに住んでいる先輩に会いに行ったりしていたら、あっという間に年が明けていました。

 

というわけで、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

 

年が明けてから、須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」を少しずつ読んでいます。留学前にたまたま手に取った「ヴェネツィアの宿」を読んでから、ずっと彼女の文章が頭を離れず、こちらでは日本語の本を意図的に避けていたのですが、結局のところ電子書籍で読んでいます。

 

ところで、こちらで留学していると、「旅行に出た方がいい」と言われます。その気持ちはよくわかります。日本からの旅費に考えたら、遥かにポーランドとヨーロッパの都市間の旅費は、当たり前ですが格段に安いです。そして時間もかからない。ただ私は今のところ大きな旅行に行っていません。それどころか、1日ワルシャワに行っただけで、グダンスクが恋しくなっていました。ワルシャワの中心街は巨大で、無機質に見えて。

 

須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」を読んでいると、ふと思い至ります。彼女にとっての土地の記憶は、そこで時間を共にした愛する人々との記憶なのだろうなと。ミラノの街、そして旅行先も。誰と過ごしたのか。

 

この100日を振り返って、今の地点にいる私にとって、グダンスクはもはや顔のない街ではありません。

 

クラスメイトのガイドで巡った旧市街、演劇科のクラスメイトたちの会話を聞きながら乗った電車、クラスメイトが案内してくれた彼女の地元、そしてクリスマスパーティーの帰り道。

 

そして、こちらで出会った人の中で、最も頻繁に会い、一緒にふざけたことをしたり、たまには真面目なことを語り合っている友人をVとしますが、Vと何時間も座り込んで話したショッピングモールのフードコートの角の硬い机と椅子、時間潰しに入った書店、歩き回った道、公園、ジョージア料理の店。

 

ショッピングモールのフードコートの角や、学校までの短い通学路、運転の荒い電車。あちこちから知った顔が覗いています。

 

旅行に行っても、観光地を巡るだけでは、のっぺりとした街の印象が拭えないのです。観光客気分は、ふと1人になりたいと思うときはちょうどよくとも、私の土地の記憶は、人と結びついて、おなかのなかに少しずつ少しずつ重なっていくものなのです。

 

たった3か月の滞在で、須賀敦子をひいてくるには、おこがましいにもほどがあるのですが、ふと、グダンスクがわたしのからだで大きくなっていることに気づいたので。

 

ではまた。

 

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書きながら、あたまのなかを流れた曲です。