あたたかくなってきました
ブログをはじめたものの、2記事しかあげておらず、インターネット上に筆不精ぶりを晒しておりますMalwinaです。
最近ポーランドでも、ようやく春の訪れを感じられるほどあたたかくなってきました。というのも日が伸びましたね。サマータイムが始まったのもありますが、5時30分には日が昇り、20時には日が沈む。時間の流れが穏やかになった気がします。
ポーランド人の学生の間にも、だいぶ知った顔が増えて、廊下なんかで待ち時間は、クラスメイトと話したり、誘われて突然海に出かけたり、カフェに行ったり、人間関係もだいぶ充実してきています。日本にいると、いつも自分をよく見せようと頑張ってしまうのですが、こちらに来て早々に諦めたところ(よく見せることすらできない)、1人でぼーっとしていたら、話かけてくれる人が周囲に増えていました。
留学生活の終わりは近づいてきているのですが、「もう終わりだ、悲しいな」と考えるのではなく、今後もポーランド、ポーランド語とどうやって関わっていこうかなと、最近は考えてみています。
今現在、熱烈にポーランドが好きかと言われれば、そうでもないかなと思うのですが、(好き、嫌いという感情はなくなった気がします)いわゆる英独仏の言語世界からは見えない世界の存在に気づけるようになったということが、ポーランド語を通して、学んだことなのではないかな、とふと思っています。
今学期毎週楽しみにしている授業は、ポーランド大戦間期文学の授業です。文学の授業に多い、作家の背景、歴史、潮流を説明していく授業かと思っていたら、この授業の先生は、教科書を使わず、文学理論はもちろんのこと、さらに哲学や心理学も援用して、今ここの私たちがどう読んでいくのか、読みの可能性を探っていきます。
ある講義で、Bolesław Leśmianという詩人を扱いました。本当にざっくりと言ってしまうと、西洋の人文学、つまり人間と自然を切り離す方向とは反対に、人間も自然の一部であるという思想に基づいて、詠った詩人です。西洋と対に置かれるいわゆる「東洋的」な思想も感じる作品もあります。
授業後、授業後先生に声をかけました。
「日本の詩人の作品を思い出しました」
「そうですよね」
「私はいつもヨーロッパの「人文学」はどこか遠くて理解できるものではない気がします」
「そうでしょう。こちらの人たちはいちいち説明しなくても、自然と身につけてきています。......」
そして、恥ずかしながら、この後あまりに緊張していて聴き取れず、有耶無耶にして逃げてしまったのですが、
「'planeta'単位で考えている」と言っていたのは、かすかに聞き取れました。
このあとずっとこのplanetaという言葉について考えていました。あえてświat(世界)という語彙を使わず、planetaを使った先生の意図を考えていました。
そして、ふと気づいたのです。自分自身こそがオリエンタリズムを内在化してしまっているのではないかと。「私は極東から来た」と意識するあまり、差異ばかりに目が行ってしまっていたのではないかと。
planetaという言葉は決して「この21世紀に差異はもはや存在しない」、「(西洋白人男性の価値観に基づく)平等は達成された」、「全てを均してしまえ」という暴力的なことばではなく、同じ惑星に住まうものとして考えようではないかということだったのではないかと。
ずっと考えていました。ポーランド語を母語としない人間がポーランド文学に取り組む意味があるのかと。そして常に「日本だったらこうだな」と考える自分がいました。しかし、比較をするたび、無暗な二項対立に意味はあるのかと。
「文学は対話だ」と先生は言っていました。何度も。
(一方で皮肉にも「人間は分かり合えないのでは」とゴンブローヴィッチを引用していっていましたが)
ポーランド的なもの、日本的なもの、と縛られるのではなく、作品と対話しながら、もっと遠くへいけるのか試してみたいと思います。そして、自分自身に深く根付いた母語を離れるために、母語ではない言語を学ぶのではないかなと、今は思っています。(まだまだわたしのポーランド語はそんな悠長なことを言っている場合ではなく、あがいていこうと思います)
昨日学校で上映会があり、Fire of Love (ポ: wulkan miłości) を観ました。(4本で600円ぐらいというありがたい割引に引き寄せられて、毎週上映会に行っています)
人から離れて、生と死に近づくほど、人を想うのではないでしょうか。
私は高校時代、理系はべらぼうにだめだったのですが、地学の火山や地震の分野だけやたらと好きだったので、来世は火山学者か地震学者になりたいと、ふと思ったこともあります。こういう世界の人間がとても相手にできない存在を相手にするところが好きです。そしてそれは、人間がとても相手にできない「他者」を相手にする文学とも、通じるところがある気がします。
ではまた。